2021年の、とある夏の日。
2021年の、とある夏の日。
朝、目を覚めしてカーテンを広げると、The・夏空が目に入ってくる。
蝉の音に蒸し暑さを感じ、独特の夏の香り。
毎年変わらないような夏の朝。
眩しすぎる夏の朝。
夏の朝は珈琲牛乳。
むかしから、いつもそう。
朝食の時間、テレビから耳に入ってきたのはオリンピックのメダルを獲得した選手の特集。
スポーツ観戦全般が好きなボクには、久々の嬉しいニュースに目を傾ける。
つい最近まで、他の話題で持ちきりだった番組も、今はオリンピックニュースが目につく。
アスリートインタビューでは、この状況下で開催させてもらえたことへの感謝を口々にしている。
いえいえ、とんでもないです。
こちらが勝手に勇気をもらい、自分の生活の糧の一部にしている人もいるのです。
開催できるかギリギリまで分からずも、準備を行なってきた選手たちの心情を思うと、気の毒に思ってしまうのと、その内面にある強さに感服。
競技によってはオリンピックという舞台がその人の人生を変えると言っても過言ではない。
見る側には分からない、計り知れない時間と共に色々な感情を持って、今回オリンピックという舞台に臨んでいるアスリートたち。
結果ではなく、その勇姿に感謝を贈らせて頂きます。
その一方で、現在ワタシたちが立っている世界は、緊迫の医療危機の状況が日々伝えられる。
こちらも目には見えない所で、医療関係者の皆さんが命を張って動いていて。
ここ最近は、以前よりも頻繁に救急車の音が耳に響く気がする。
知り合いの方から伺った医療現場は、思っている以上に過酷な闘いを毎日繰り返されているとのことを知って。
本当に頭が下がる思いと、なんとも胸が締め付けられる。
そして自分の道行く先々では、飲食店の自粛の文字や、閉店の張り紙が目につく最近。
色々な場所で、それぞれ闘っている人々が居ること。
色々なコトが重なっている状況、今の心は昨年思っていた以上に、複雑な感情に包まれる。
今、ボクが出来ることは?
出来ること、出来ること、出来ること。
独りで前向きな言葉や姿勢を探すけれど。
ボクの行える、できる限りの予防や対策もしているつもりだけれど。
すべてはなかなか難しいことです。
夕方17時過ぎ。
帰路の途中、蝉の音をBGMに公園を通り過ぎる。
前から来る人の影を踏まない影跨ぎゲーム開催。
通り過ぎる散歩中のワン子と目配せウィンク。
公園を抜けて、路地裏のニャンコにも少し挨拶。
見上げたら、まだ青い空と黙々の雲。
太陽はあまりに眩しすぎるので、木漏れ日から漏れる光が、ぼくは好き。
元気よく走り去る子どもたちとすれ違う。
夏休みらしい光景に、香りに、音に包まれて、少し心休まるけれど。
唯一違う光景は、こんな暑いのに口元にはマスク。それは去年から恒例の光景。
遊ぶ時くらいとっても大丈夫だよと心の中で思ったけれど。
あぁ僕がウィルスを運んでいるかもしれないと思うと、少し申し訳ない気分。
できる限り人通りの少ない道を選んで、また歩き出す。
ここの道沿いにあった、昔ながらの古い居酒屋さん。お店前には営業自粛の文字の上に閉店の紙。
あぁとうとう閉じてしまったんだ。
あのおじいさんとおばあさんは元気なのかな。
っていつも、通り過ぎに窓ガラスからチラッと見るだけだったのに。
一度は寄っておけば良かったと今更思った。
そう思っても別に何一つ変わらない現実を想い、少し寂しい気持ちと、そういう風に思った自分を薄情に感じてしまう。
あまり変わらないような夏の日の光景の中に、あまりにも変わってしまった日常の風景が埋め込まれている。
それを段々と当たり前のように感じながら過ごしてしまうことが恐いのです。
ボクには何が出来る?何が出来る?何が出来る?
やっぱり正解はわからない。
でも、考えていこうとは思っています。
そしてそれぞれの立場で、それぞれのやることに一生懸命向かわれている方々へ。
世界の隅っこから、エールと感謝を込めて。
2021年の、夏の日。
tomo
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